「遊馬の力石」

 徳川家康の命により、江戸時代初期に荒川の瀬替えに着手したのが関東郡代伊那半十郎忠次です。忠次は土屋に陣屋(現在の永田邸)を設け、旧荒川を入間川の河道につなげる大土木事業を進めました。
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 荒川が遊馬地区を流れるようになると、新田開発が盛んに行われるようになり、この地区は近郷有数の穀倉地帯となりました。そして、収穫の秋を迎えると、神社の祭礼では「若者組」が中心になって力比べを行いました。若者組は当時の村の行事、祭礼、共同作業の担い手であり、力比べは村人がお米の収穫を担う娯楽の一つとして催されました。力自慢の若者の名は村中の評判となり、英雄気分に浸ることができたことでしょう。
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 成人男子にとって、米俵1俵16貫(60キロ)の扱いは最低条件であり、力比べには30貫(113キロ)、50貫(188キロ)の「力石」が多く使われたようです。力石は収穫と結びついていたため、たいへん縁起の良いものとされています。力石による力比べは明治時代まで続きましたが、今はその力石だけが西遊馬氷川神社の境内に残されており、往時の盛況を語り掛けているようです。参詣の折には、この石に触れて、当時を偲んでいただければと思います。
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〔機材・スペック〕
D7100 / DX 17-70mm f/3.5-4.5G / Kodak Gold100