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タグ:力石

「遊馬の力石」

 徳川家康の命により、江戸時代初期に荒川の瀬替えに着手したのが関東郡代伊那半十郎忠次です。忠次は土屋に陣屋(現在の永田邸)を設け、旧荒川を入間川の河道につなげる大土木事業を進めました。
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 荒川が遊馬地区を流れるようになると、新田開発が盛んに行われるようになり、この地区は近郷有数の穀倉地帯となりました。そして、収穫の秋を迎えると、神社の祭礼では「若者組」が中心になって力比べを行いました。若者組は当時の村の行事、祭礼、共同作業の担い手であり、力比べは村人がお米の収穫を担う娯楽の一つとして催されました。力自慢の若者の名は村中の評判となり、英雄気分に浸ることができたことでしょう。
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 成人男子にとって、米俵1俵16貫(60キロ)の扱いは最低条件であり、力比べには30貫(113キロ)、50貫(188キロ)の「力石」が多く使われたようです。力石は収穫と結びついていたため、たいへん縁起の良いものとされています。力石による力比べは明治時代まで続きましたが、今はその力石だけが西遊馬氷川神社の境内に残されており、往時の盛況を語り掛けているようです。参詣の折には、この石に触れて、当時を偲んでいただければと思います。
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〔機材・スペック〕
D7100 / DX 17-70mm f/3.5-4.5G / Kodak Gold100


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 <新刊のお知らせ>

 『図解 超早わかり 18歳成人と法律』

 南部義典(著)
 2018.12.12 発売予定
 C&R研究所
 B6判
 216頁
 1,966円(税込)
 ISBN 978-4863542648
 
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 石をかたどった左の絵図に描かれた文字はこの大盤石の表に刻まれた文字の模写です。
 これが寛永五年二月、岩槻の三ノ宮卯之助がこの石を持ち上げた所以です。
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 「大盤石」とは力石の中でも特別に大きい石を指します。大盤石は全国でも四ヶ所にしかないといわれています。この石の重量は六一〇キログラムあり、重量は日本一と評されています。越谷市の高崎力先生及び四日市大学の高島慎助先生の長年にわたる調査により判明したのです。
 三ノ宮卯之助は文化四年(一八〇七年)武州岩槻領三野宮村に生まれました。その頃江戸では祭りや見せ物において力自慢の人が大いにその特技をもって大衆にもてはやされ、「力石」を持ち上げることが興行とされるような時代でした。
 卯之助は成長して江戸一番の力持ちを評判になり、地元岩槻、越谷をはじめ各地のイベントに招かれたものと思われます。現在卯之助の名を刻んだ「力石」は全国で三二個確認されています。天保四年(一八三三年)には深川八幡宮にて、当時の将軍家ご上覧の一大興行が催されたといわれています。
 卯之助は四五歳の時にこの力石を、この桶川にて持ち上げたといわれています。当時は各大名が競って藩の威信をかけて行ったといわれています。しかし卯之助は四八歳にて不慮の死をとげ、惜しまれつつこの世を去りました。
 当時の興行に使われた、チラシ、ポスターの類には人物が仰向けに寝て、両足で小船を持ち上げ、その船に米俵を背負った馬とその馬を引く人物の図柄がしるされています(左図参照)。
 ちなみにこの「力石」もこの【足指し】という方法で持ち上げたものと推定されています。
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