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タグ:憲法審査会

 国民投票法の施行まであと1年となりました。憲法審査会のスタートに向けて、ようやく政治的な土壌が固まりました。

 国づくりは憲法体系のチェックから。憲法議論は常にあるもの。。。
 突然休止したり、急アクセルで始める性質のものでないのに、随分とおかしな風潮が広がりました(笑)。

 衆参両院の議院運営委員会(国会法41条2項3項)は通常、議院に付託された法律案を各委員会に振り分けたり、本会議の議事日程を決定するなど、比較的地味な活動をしています。

 最近は、これまでは両院の軋轢を生まなかったであろう、日銀総裁の人事の議決をめぐって、混乱を避けるべく、議院運営委員会が合同で開かれるなど、常任委員会としての重みは、より増しているように思います。

 下の産経記事にあるように、憲法審査会に関する規程が定められておらず、審査会が予定通り始動できていないという問題があります。
 ここに規程とは、議案型式の一つです。憲法審査会規程(仮称)は、議院運営委員会で審査し、議決する(さらに各議院の本会議で議決する)こととなっています。議院運営委員会が憲法審査会の命運を握っているのです。

 両院の議院運営委員会では、憲法審査会の設置の意義に関して各会派の認識が深いとはいえず、とりわけ参院においては国民投票法成立後の大きな議席変化があったため、ほぼグラウンドゼロの状態です。

 二度手間になるかもしれませんが、各院の議院運営委員会でそれぞれ公聴会を開いて、広く一般の意見を聴取するというのも打開策の一つと考えます。市民の意見を聴くことそのものに反対する論理はありえません。

 誰も決定的なイニシアティヴをとることができず、何もしなければこのまま何も動きません。憲法審査会はいったん設置されれば、国会法が改正にならない限り永久に存続する(まさに常設の)機関です。合意形成に向けたこの程度の政治的努力はあってしかるべきでしょう。

 超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」は4日の総会で、自民・民主両党の幹事長らを役員に加えることを了承し、与野党の対立で見送られている衆参両院の憲法審査会の発足に向け、活動を活発化させたいとしています。(→つづき

 3月に入りました。

 政府予算案が衆院を通過したことで、平年であればベルトコンベア式に、いろいろな法律案の審査が始まっていくわけですが、両院がねじれているために、そうは行きません。第167回国会以降、その運営は手探りによるところが大です。

 予算案や法律案の審査、審議をどう進めるか、どう反対するかという国会対策のレベルの議論の中で、憲法審査会が相変わらず犠牲になっています。改正国会法の施行から7か月経過しています。憲法審査会規程を議決するに合理的な期間を悠に超え、国会の不作為は明らかに違法であるといえます。

 憲法審査会立上げの議論に触らないでおくという「空気」は、国会じゅうに蔓延しています。何の脈絡もなく憲法審査会の話を持ち出すと、KYだということになるので、誰が主犯であるというわけでもなく、全党的に、意識的に避けられているというのが現実ではないでしょうか。

 国会における憲法論議の放棄、不作為がこれ以上続くことに、大変な危機感を覚えます。
 また、憲法審査会が立ち上がらないこと自体が、憲法を護ることにとってよいことだとの勘違いが増えてくることも心配です。

 成人年齢に関する内閣官房の検討会は当分羽休めですが、法制審議会は11日から実質的な議論をスタートさせます。
 政治的に高い立場から政府の検討状況をチェックするのが憲法審査会の役割です。もはや一刻の猶予もありません。

 各党の足並みが揃うことも大事だと思います。

 自民党の憲法審議会は、憲法改正の手続きを定める国民投票法の付則で、成人年齢などを18歳に引き下げるよう法整備を図るとしているのを受けて、こうした引き下げをした場合に、関連する法令をどれだけ見直すのかなどについて、具体的な議論を始めることになりました。(→つづき

 国会は、参議院本会議で福田総理大臣の施政方針演説に対する2日目の代表質問が行われ、福田総理大臣は、与野党の対立で発足が見送られている衆参両院の憲法審査会について、「国会のしかるべき場でしんしな議論が行われることを強く期待している」と述べ、速やかな発足を求めました。(→つづき

 自民党は、衆参両院に設置される「憲法審査会」が野党側の反対で発足できない状態が続いている中、憲法改正を行うための国民投票の実施に向けて内容を詰めておく必要がある課題について、党内に専門の作業部会を設け、独自に検討を進めることになりました。(→つづき

ff06663a.jpg 本日の御題は、公共事業は減ったのか?
 
 道路、港湾、営林・・・旧来型に代わって、学校、福祉施設の耐震化など、新しいタイプの公共事業が生まれ、財団を通じての補助金投入など、予算の使い道が分かりづらくなっている――これは発注者の裁量が大きく、受注者との関係が不透明になる構造によるものと指摘。薬害肝炎の問題と同様、徹底した情報公開によって是正する外ないとの論旨でした。

 先の通常国会で衆院憲法調査特別委員長を務め、国民投票法成立に尽力した自民党の中山太郎元外相が24日、東京都内で講演し、「本来なら今国会で憲法について議論する委員会が設置されなければならない」と、衆参両院の憲法審査会が始動しない現状を憂えた。(→つづき

 2週間ぶりの更新です。(^^;)

 憲法審査会の問題では、「二度あることは三度ある」との格言を想起してしまいます。
 昭和憲法調査会と平成憲法調査会――。政治現象として観察すると、実に難儀な始まり方をしています。

 まず、1956年5月16日、鳩山一郎内閣の下「憲法調査会法」が制定されました。内閣に「憲法調査会」を置き、憲法改正問題について議論を始めるということでしたが、政治混乱の中、調査会委員が任命されたのは57年7月30日、第1回総会が開かれたのは同年8月13日のことでした(岸信介内閣に替わっています)。法律制定から初会合まで、1年3か月が経過しています。
 ※昭和憲法調査会は、1965年6月3日に廃止されています。

 また、憲法調査会(旧国会法102条の6)の設置に向けては、「衆院議会制度協議会」が当初議論の場となりましたが、かなり紛糾しました。1999年3月24日に議論が始まったものの、同年5月21日に打ち切り。議運に国会法改正小委員会が6月8日に設置され、法案が成立したのは、7月29日のことです。当時は、参院にも調査会を設置することにつき、参院側の各党協議が遅れていました。参院の「修正」を受けて、改正法が成立した経緯があります。
 ※平成憲法調査会は、2007年8月7日に廃止されています。

 「この調査会の最終報告が出たあと、議論は下火になって、人々の関心の外に去っていった」(小林直樹『憲法講義(下)』p868,東大出版会,1968)との指摘は、平成憲法調査会についても、当てはまるのかもしれません。。。

 平成憲法調査会の成果を、立憲主義的観点でさらに深めていく必要があります。

 限りなく、全会一致で始められるべき憲法論議。
 二人三脚、三人四脚においても、スタートが難儀で、走り出せば一定のペースを掴めることをパラレルに考えてしまいます。

 衆参両院に憲法審査会が実質的に立ち上がらず、
 2007年も残り3か月となってしまいました。

 国会が堂々と国会法違反を犯しています。
 参院においては、附帯決議15[憲法審査会による調査]にも
 反しています。
 凍結期間中の調査をも、二重に凍結してしまっているの
 です。

 私は、[改憲派/護憲派]二分論に一切与しませんが、
 便宜上、この概念を使うとすれば、
 政治の現場における改憲派と護憲派は、憲法審査会の立ち上げ
 から、ともに逃げています。

 参院選の敗北は、安倍前首相の復古的政治観、イデオロギー
 にあると考える改憲派(とくに与党一部の独自路線派)が、
 いまや憲法論議をタブー視するという皮肉な状況です。

 政治的な損得で、憲法審査会の意義が考えられるように
 なってしまいました。

 憲法審査会の権能は、憲法改正原案の審査だけにあると
 誤解している人も、相変わらず多く見受けられます。
 憲法、憲法関連基本法制を広範かつ総合的に調査すると
 いう役割は、
 ざっくばらんに言えば、憲法問題、憲法事件を対象に
 広く議論するということです。

 9条だけではありません。
 年金保険料の横領、内閣総理大臣の突然の辞職・・・。
 憲法的観点で論じ合うテーマは、最近のニュースを見ても
 たくさんあります。
 およそ、現行憲法が想定していないような事件が起きて
 しまっているのです。

 そこから何が生まれるか。
 憲法改正原案のアイデアが生まれてくることもあれば、
 それには至らず、自由討議のような場で、立憲的意味での
 共通意思が形成されることがあるでしょう。

 立憲主義とは何か。
 憲法に明文の定義規定はありませんが、
 国民の権利と自由を可及的に保障するため、憲法上、公権力に
 ついての定めを置き、同時にその作用の限界を定める原理と
 いえます。

 アメリカのワイザンスキーという裁判官がかつて、国家による
 自由(社会国家)とほぼ同義に、
 積極的立憲主義(affirmative constitutionalism)という概念
 を提唱しました。

 立憲主義を放置し、権力作用のチェックを怠っている日本には、
 これと違った意味での積極的立憲主義(positive constitutionalism)
 という概念が必要です。
 
 例えば、安倍前首相の辞め方は、あれで正しかったのかどうか。
 そもそも、今回の場合、憲法70条で規律されるところのケースでは
 ありませんが・・・、

 1.(堂々と)臨時代理が置かれなかったのはなぜか。
 2.安倍首相はどういう法的根拠で辞めたのか。
  →「辞表を提出」(国会法64条)したといえるのか。
 3.任命権者である天皇に対し、辞表が提出できないのはおかしい。
 など、いろんな論点が出てきます。

 国対政治がガッチリ機能する日本にあっては、
 法の欠缼、政治的空白をもバッチリ埋め合わせる対応が
 なされました。
 
 しかし、喜んでいる場合ではありません。
 前首相の所為は、いわば消極的意味での権力濫用であって、
 立憲的意味においては、憲法的チェックがかからず、
 危なっかしい場面でもあったわけです。

 中世・近代・現代へと続く憲政史において、
 基本原理はともかく、各国の制度、議論をそのまま日本に
 当てはめるわけにはいきません。
 立憲主義の機能強化は、現実の問題として、国民の側が強く
 自覚し、現実社会に根付かせていく必要があります。

 国民の側が強く自覚する必要があるといっても、
 1億2千万人の総意を形成することはできません。
 やはり、憲法論議の原点である「国民との対話・キャッチボール」が
 不可欠なのです。国民も努力はできますが、国会からボールが
 投じられないようでは、どうしようもありません。

 積極的立憲主義の「第二の意味」。
 (実質的意味の)憲法は生き物のように、言わばアメーバの
 ように形を変え、増殖し、いつの間にか歪な形になっていく
 ものです。
 究極的にはそれは主権者がチェックし、是正する他はありませんが、
 国会には立法権を与え、国会法という法律に基づいて、
 憲法審査会という組織に、一定の権限を与えた(はずな)のです。

 そうだとすると、憲法審査会は「憲法改悪の一里塚」などと
 いう見方が、実に片面的、偏向的であるかが分かります。
 9条改正によって、現状より悪くしてはいけないという主義・主張は、
 一面において正しいものの、
 立憲的意味において、現状より良い方向での改正をも否定に解する
 という点では、立憲主義の半面しか理解できていません。
 まさに「半立憲主義」な思想です。
 
 さらに、立憲主義の意味すら分からず、何でもいいから憲法改正を、
 という言説も論外です。
 
 これらはともに、日本の立憲政治の発展を阻害します。
 結果として憲法の価値を低減させるだけです。

 憲法審査会での議論が、日常的に国民に伝わるようになると
 よいと思います。
 憲法的観点を養うという意味から、国民の思考訓練になるから
 です。

 憲法改正原案の審査以前に、憲法審査会がやることは山ほどあります。
 メディアの皆さんにはぜひ、こういう観点での報道をお願いしたい
 のです。

 最近、国民投票法に関する「講演巡業」を何か所かで行っています。いろいろな立場の方と接する機会が増えてきました。

 国民投票法の中身については、大体の中身は理解していただけます。
 しかし、この法律が対象とするところの「憲法」「憲法改正」という大テーマについては、必ずしも共通理解が得られていないというのが実感です。

 「憲法審査会は今、どうなっているの?」という疑問も、かなり寄せられます。
 私も結論に窮する部分もありますが、憲法審査会は形式的には立ち上がっているが、実質的な立ち上がりが遅れているとしか、答えようがありません。

 決まったわけでもないのに、3年後に(自民党新憲法草案に基づく)憲法改正の発議があると確信している方も少なからずいらっしゃいます。
 私は2人3脚、3人4脚、5人6脚・・・を例に出し、あるプレイヤーが単独走の自己ベストで走り切ろうとしたらどうなるかを、冷静に考えていただくことにしています。

 決まって私は、この先何度も議論の「失敗」と「停滞」を繰返し、最初の憲法改正発議は20〜30年後になるのではと、お答えしています。正直、国民投票は人生の中で一度経験できれば運がいい方です。

 そういう話を冷静にお伝えすると、口を揃えて「安心しました」と。

 いろいろな方々の疑念が解けるよう、国会の状況を少しでも正確に伝えていければと思います。とにかく、冷静な空気の中で、議論が積み重ねられていくことが大切です。

 第168回臨時国会は、9月10日(月)に召集され、会期は2か月程度となる予定です。必ずしも長くありません。

 憲法調査会の5年間の議論が、ここで上手く接続できることを願うばかりです。

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