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南部義典オフィシャルブログ

タグ:憲法調査会

 先の通常国会で衆院憲法調査特別委員長を務め、国民投票法成立に尽力した自民党の中山太郎元外相が24日、東京都内で講演し、「本来なら今国会で憲法について議論する委員会が設置されなければならない」と、衆参両院の憲法審査会が始動しない現状を憂えた。(→つづき

 2週間ぶりの更新です。(^^;)

 憲法審査会の問題では、「二度あることは三度ある」との格言を想起してしまいます。
 昭和憲法調査会と平成憲法調査会――。政治現象として観察すると、実に難儀な始まり方をしています。

 まず、1956年5月16日、鳩山一郎内閣の下「憲法調査会法」が制定されました。内閣に「憲法調査会」を置き、憲法改正問題について議論を始めるということでしたが、政治混乱の中、調査会委員が任命されたのは57年7月30日、第1回総会が開かれたのは同年8月13日のことでした(岸信介内閣に替わっています)。法律制定から初会合まで、1年3か月が経過しています。
 ※昭和憲法調査会は、1965年6月3日に廃止されています。

 また、憲法調査会(旧国会法102条の6)の設置に向けては、「衆院議会制度協議会」が当初議論の場となりましたが、かなり紛糾しました。1999年3月24日に議論が始まったものの、同年5月21日に打ち切り。議運に国会法改正小委員会が6月8日に設置され、法案が成立したのは、7月29日のことです。当時は、参院にも調査会を設置することにつき、参院側の各党協議が遅れていました。参院の「修正」を受けて、改正法が成立した経緯があります。
 ※平成憲法調査会は、2007年8月7日に廃止されています。

 「この調査会の最終報告が出たあと、議論は下火になって、人々の関心の外に去っていった」(小林直樹『憲法講義(下)』p868,東大出版会,1968)との指摘は、平成憲法調査会についても、当てはまるのかもしれません。。。

 平成憲法調査会の成果を、立憲主義的観点でさらに深めていく必要があります。

 限りなく、全会一致で始められるべき憲法論議。
 二人三脚、三人四脚においても、スタートが難儀で、走り出せば一定のペースを掴めることをパラレルに考えてしまいます。

 衆参両院に憲法審査会が実質的に立ち上がらず、
 2007年も残り3か月となってしまいました。

 国会が堂々と国会法違反を犯しています。
 参院においては、附帯決議15[憲法審査会による調査]にも
 反しています。
 凍結期間中の調査をも、二重に凍結してしまっているの
 です。

 私は、[改憲派/護憲派]二分論に一切与しませんが、
 便宜上、この概念を使うとすれば、
 政治の現場における改憲派と護憲派は、憲法審査会の立ち上げ
 から、ともに逃げています。

 参院選の敗北は、安倍前首相の復古的政治観、イデオロギー
 にあると考える改憲派(とくに与党一部の独自路線派)が、
 いまや憲法論議をタブー視するという皮肉な状況です。

 政治的な損得で、憲法審査会の意義が考えられるように
 なってしまいました。

 憲法審査会の権能は、憲法改正原案の審査だけにあると
 誤解している人も、相変わらず多く見受けられます。
 憲法、憲法関連基本法制を広範かつ総合的に調査すると
 いう役割は、
 ざっくばらんに言えば、憲法問題、憲法事件を対象に
 広く議論するということです。

 9条だけではありません。
 年金保険料の横領、内閣総理大臣の突然の辞職・・・。
 憲法的観点で論じ合うテーマは、最近のニュースを見ても
 たくさんあります。
 およそ、現行憲法が想定していないような事件が起きて
 しまっているのです。

 そこから何が生まれるか。
 憲法改正原案のアイデアが生まれてくることもあれば、
 それには至らず、自由討議のような場で、立憲的意味での
 共通意思が形成されることがあるでしょう。

 立憲主義とは何か。
 憲法に明文の定義規定はありませんが、
 国民の権利と自由を可及的に保障するため、憲法上、公権力に
 ついての定めを置き、同時にその作用の限界を定める原理と
 いえます。

 アメリカのワイザンスキーという裁判官がかつて、国家による
 自由(社会国家)とほぼ同義に、
 積極的立憲主義(affirmative constitutionalism)という概念
 を提唱しました。

 立憲主義を放置し、権力作用のチェックを怠っている日本には、
 これと違った意味での積極的立憲主義(positive constitutionalism)
 という概念が必要です。
 
 例えば、安倍前首相の辞め方は、あれで正しかったのかどうか。
 そもそも、今回の場合、憲法70条で規律されるところのケースでは
 ありませんが・・・、

 1.(堂々と)臨時代理が置かれなかったのはなぜか。
 2.安倍首相はどういう法的根拠で辞めたのか。
  →「辞表を提出」(国会法64条)したといえるのか。
 3.任命権者である天皇に対し、辞表が提出できないのはおかしい。
 など、いろんな論点が出てきます。

 国対政治がガッチリ機能する日本にあっては、
 法の欠缼、政治的空白をもバッチリ埋め合わせる対応が
 なされました。
 
 しかし、喜んでいる場合ではありません。
 前首相の所為は、いわば消極的意味での権力濫用であって、
 立憲的意味においては、憲法的チェックがかからず、
 危なっかしい場面でもあったわけです。

 中世・近代・現代へと続く憲政史において、
 基本原理はともかく、各国の制度、議論をそのまま日本に
 当てはめるわけにはいきません。
 立憲主義の機能強化は、現実の問題として、国民の側が強く
 自覚し、現実社会に根付かせていく必要があります。

 国民の側が強く自覚する必要があるといっても、
 1億2千万人の総意を形成することはできません。
 やはり、憲法論議の原点である「国民との対話・キャッチボール」が
 不可欠なのです。国民も努力はできますが、国会からボールが
 投じられないようでは、どうしようもありません。

 積極的立憲主義の「第二の意味」。
 (実質的意味の)憲法は生き物のように、言わばアメーバの
 ように形を変え、増殖し、いつの間にか歪な形になっていく
 ものです。
 究極的にはそれは主権者がチェックし、是正する他はありませんが、
 国会には立法権を与え、国会法という法律に基づいて、
 憲法審査会という組織に、一定の権限を与えた(はずな)のです。

 そうだとすると、憲法審査会は「憲法改悪の一里塚」などと
 いう見方が、実に片面的、偏向的であるかが分かります。
 9条改正によって、現状より悪くしてはいけないという主義・主張は、
 一面において正しいものの、
 立憲的意味において、現状より良い方向での改正をも否定に解する
 という点では、立憲主義の半面しか理解できていません。
 まさに「半立憲主義」な思想です。
 
 さらに、立憲主義の意味すら分からず、何でもいいから憲法改正を、
 という言説も論外です。
 
 これらはともに、日本の立憲政治の発展を阻害します。
 結果として憲法の価値を低減させるだけです。

 憲法審査会での議論が、日常的に国民に伝わるようになると
 よいと思います。
 憲法的観点を養うという意味から、国民の思考訓練になるから
 です。

 憲法改正原案の審査以前に、憲法審査会がやることは山ほどあります。
 メディアの皆さんにはぜひ、こういう観点での報道をお願いしたい
 のです。

 憲法改正の手続きを定める国民投票法案への対応をめぐって、民主党は、党の憲法調査会の総会を開き、与党側と対立している国民投票の対象については、国政の重要課題でも行えるとする当初の案を堅持した独自の修正案を決めました。(→つづき

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