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タグ:鴨川

 マガジン9連載 立憲政治の道しるべ
 第152回「羽田新ルートと試される自治、国の新たな苦情救済制度の検討を」
 https://maga9.jp/200219-2/
#152 写真1
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 旧川越道は、所沢新道とほぼ同じ道筋で大宮と結ばれていますが、旧道はここから右へ折れ、並木橋で鴨川を渡り、水波田観音へと続く幅2間(3.6m)の道です。
 
 戦国時代の当地一帯は、岩槻太田氏の領地でしたので、小田原・北条氏と太田氏との争いの際には水判土の慈眼坊(慈眼寺)が消失するなど、川越道は重要な軍事道路でした。

 江戸時代になると、次第に川越町と大宮宿を結ぶ生活道路としての色彩を強めていきます。特に近距離の川越は人口も多く、かつては大きな市が立ち、売りさばきも容易であったので、市域西部の村々では穀物や野菜などを大八車に積んで出荷していました。

 また、この道は東へ進むと中山道大宮宿へ、また南北に通る与野道とも各所で交差していますので、地区の人たちはもとより近郷近在の人たちにとっても大切な道でした。

 さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課
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